【世界一受けたい授業】内田篤人が教える『人生を豊かにする一流のメンタル術』

【世界一受けたい授業】内田篤人が教える『人生を豊かにする一流のメンタル術』 人間関係
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2020年10月24日(土)放送の『世界一受けたい授業』。

『元サッカー日本代表・内田篤人先生が登場!人生を豊かにする一流のメンタル術教えます』というテーマで放送されました。

教えてくれるのは、元サッカー日本代表の内田篤人先生(32歳)。

甘いマスクで女性ファンに大人気。

『イケメンJリーガー選手権』や『恋人にしたい日本代表ランキング』で1位を独占。

2020年、ドイツの名門クラブチーム『シャルケ』に移籍。

ドイツでは日本人初の快挙としてチームをチャンピオンズリーグベスト4に導き、“ウッシー”の愛称でドイツ人ファンを虜に。

ドイツ・ブンデスリーガのベストイレブンに2度も輝きます。

内田篤人先生は身長176cmと体が特別に大きかったわけでもなく、走るスピードも50m6秒台と飛びぬけて速かったわけでもありませんでした。
それでも『内田式メンタル術』のおかげで世界のトップになれたんです。

そして2020年8月、惜しまれながら14年半の現役生活に幕を下ろしました。

そんな引退したばかりの内田篤人先生から『人生を豊かにする一流のメンタル術』を学びます。

テレビで紹介された放送内容をまとめましたのでぜひ参考にしてみてください。

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内田篤人が教える『人生を豊かにする一流のメンタル術』

海外であえて通訳をつけなかった理由とは?

ドイツ語がまったく分からない内田篤人先生はあえて通訳をつけませんでした。

その理由は…チームにいち早くなじむため

直接会話することで選手との距離を縮める、海外に適応するためのメンタル術です。

通訳をつけずにドイツ語をイヤでも学ばなけらばならない環境にしたことで、フランスのスター選手リベリーを抑えるなどチームの勝利に貢献。

世界を代表する選手になりました。

鹿島アントラーズ入団を決意したスカウトの言葉とは?

それは…試合に出られる保証はない

普通なら「試合に出られるよ」という言葉がけをしてチームに招きたいところを、鹿島アントラーズのスカウトからは「レベルが高いから出られる保証はない」という言葉が。

内田篤人先生が練習を見に行ったところ「好きなところに行け、自分で決めろ」と言われ、そういうところがプロフェッショナルだなと感じて鹿島アントラーズに入ろうと決意したんだそう。

内田篤人が10代で身につけたメンタル術

メンタル術①感情は表に出さない

世界で活躍する選手を多く見てきた内田篤人先生は、自分のゴールで試合に勝っても「たまたま僕のゴールだっただけだと思います」と感情を表に出しません。

しかしプロに入る前は違いました。

サッカーの名門・清水東高校では1年生から大活躍し、勝っても負けても激しく感情を出していました。

内田篤人先生
「プロに入って一流選手は常に気持ちが一定でブレないと知りました。もちろん表には出さないけれど熱い気持ちは根元にあります」
「なくなったら選手としてはダメなんですが、良いときも悪いときも常に一定の気持ちで試合に臨む。それが安定したいいプレーに繋がっているんです」
「これはスポーツに限らず仕事や勉強でも安定した結果を出す手段だと思います」

メンタル術②大きな決断をするときは逃げ道を作る

内田篤人先生
「逃げ道というとネガティブな感じがあるかもしれないですけど、違う道というか違う考え方を持つことが大事なんじゃないかなって思います」

たった1つの目標に向かって努力するのももちろん大事です。

でも夢がかなわなかったときには大きな絶望感を味わいます。

だから逃げ道、つまりもう1つの夢や目標を持っていた方が案外リラックスできて良い結果が生まれるそうです。

メンタル術③決断に誇りを持ち、後悔しない

内田篤人先生
「決断したことに誇りを持つ、そして後悔しないことが重要だと思います。後悔することは何か月も迷って自分が考えた決断を否定しているような感じがします」

内田篤人が長年悩まされていたこととは?

鹿島アントラーズに入団して大活躍し一見華やかに見えた内田篤人先生、実はあることに苦しんでいました。

それは…嘔吐

プロに入ってから一番悩まされたのが嘔吐でした。

酷いときには10m走っただけで吐き気が襲ってきました。

試合中にもえづくほど苦しんでいたんです。

胃カメラで調べてもこれといった内臓の以上は見つからず、謎の嘔吐感はドイツのシャルケに移籍するまで続きました。

内田篤人先生
「チームドクターの話を聞いたことがきっかけなんですが、ストレスが原因かなと。試合に負けたとかミスをした、失点に絡んだっていう悪いことがストレスになってるんだなと思っていたんですが、『勝って喜んで気持ちが上下するのもストレスなんです』と言われたときに『ストレスを受けることは悪いことじゃないんだ』と思ってから気持ちがラクになりました」

ドイツに移籍する際、契約書に明記した条件とは?

プロ5年目でドイツの名門・シャルケに移籍した内田篤人先生。

移籍するにあたりある条件を契約書に明記しました。

それは…鹿島アントラーズに1億円以上の移籍金を支払う

鹿島アントラーズに移籍金を残すため、少なくとも億単位のお金を払えるチームを選んだそうです。

サッカー選手がチームを変わるとき、新しいチームから元々いたチームに移籍金が払われる場合があります。

当時の記事によると、シャルケから鹿島に支払われた移籍金は1億5000万円。

移籍した翌年、鹿島はそのお金などで選手を補強しカップ戦で優勝を果たしました。

内田篤人先生
「高卒1年目から起用してくれた鹿島に対して恩返しが必要だと考えていました。実は移籍金だけではなく恩返しの1つとして、ドイツから帰国したときには空港で待っていた記者たちに必ず“鹿島のクラブハウスで練習する日程”を伝えていました」
内田篤人先生が鹿島で練習することが記事になれば、いつも以上にサポーターが鹿島まで足を運んでグッズを買ってくれたり食堂を利用してくれたり鹿島の利益につながるという想いがあったんです。

世界で活躍するのはどんな選手?

それは…チームに好影響を与えることができる選手

たとえば2014年ブラジルW杯『日本VSコートジボワール戦』での内田篤人先生のプレー。

試合終了間際で誰もが疲れている場面で、全力疾走で戻ってスライディングで相手を止めます。

まさにチームに求められたスーパープレーでした。

『周りが大変なときにどう動けばチームが良い方向に進めるか考える』

これは学校や会社など集団活動で求められる重要なメンタルです。

プレーだけでなく心構えも評価された内田篤人先生は、現役引退後すぐに10代の日本代表候補のコーチに抜擢されました。

内田篤人が東日本大震災の翌日にやったこととは?

内田篤人先生がシャルケに移籍した翌年、2011年3月に東日本大震災が発生。

この出来事はドイツでも大きく報道されました。

ニュースを目にした内田篤人先生は「被災地の方を勇気づけたい。でもどうやってメッセージを送ればいいんだろう?」と悩みます。

これまで目立つことを避けてきた内田篤人先生ですが、初めて『注目されるには何をするべきか?』を考えて、あるものを準備しました。

震災の翌日、ピッチに立った内田先生はいつも以上に気迫あふれるプレーでチームを勝利に導きました。

常々「サッカーは人のためじゃない、自分のためにやっている」と公言してきた内田篤人先生が、初めて人のためにボールを追いかけたんです。

そして試合後、内田篤人先生はカメラに向かって…

【世界一受けたい授業】内田篤人が教える『人生を豊かにする一流のメンタル術』
出典:日本テレビ『世界一受けたい授業』

「日本の皆へ 少しでも多くの命が救われますように 共に生きよう!」

世界に発信してもらえるように、日本語だけでなくドイツ語でもメッセージをつづりました。

お世話になった人たちに恩返し

移籍4年目の2014年2月、内田篤人先生は思わぬ大怪我に見舞われました。

右太ももの肉離れと腱損傷。

医師には「症状はかなり酷い、手術をしないといけないね」と言われてしまいます。

しかし4か月後にはワールドカップが控えていました。

手術をしたらワールドカップに間に合わない…

「手術はしません」

そう決断した内田篤人先生を支えてくれたのは日本代表のコーチやトレーナー、そして日本の医師たちでした。

遥々ドイツまで来て復帰をアシストしてくれたんです。

「絶対に恩返ししなきゃ!」

そして怪我から107日後、国際親善試合『日本VSキプロス戦』のピッチには内田篤人先生の姿がありました。

多くのスタッフの献身的なサポートで見事に復活を遂げたんです。

そして復帰戦で決勝ゴールを決めた直後、近寄る香川選手を振り切って真っ先に向かったのが自分を支えてくれたトレーナーやコーチ、医療スタッフの元。

選手だけでなく支えてくれたスタッフにもスポットライトを浴びて欲しい、という想いからでした。

内田篤人を支え続けた奥さんの言葉

2015年5月、内田篤人先生は小学校からの幼なじみと結婚。

しかし結婚の翌月に右ひざを手術します。

1年9か月試合に出られない内田篤人先生を奥さんは支え続けました。

しかし一向に良くならず弱気に。

そんなとき奥さんから言われた言葉「このまま負け犬でいいの?見返してやろうよ!」

その言葉に奮起し、2018年古巣の鹿島アントラーズに復帰します。

額から血を流してピッチに立つ気迫で若手を引っ張り、チームをアジア王者に導いたんです。

しかし2020年2月、再び右脚を負傷しわずか1試合しか出られず引退を決断します。

「もしもし、俺サッカー辞めるから」と、サッカーを辞めることを電話で奥さんに報告。

すると「あぁ、そう。じゃあパートでも始めようかな」

今度は意外なほどあっさりと同意してくれました。

近くで見ていた奥さんは、限界まで頑張っていたことを誰よりも分かっていたんです。

現役最後の日に内田篤人が語った言葉

2020年8月23日、ラストマッチを終えた後に内田篤人先生が語った言葉。

内田篤人先生
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します。多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力してきた姿を僕は見てきました」
「僕はその姿を今の後輩に見せることができないと。日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと。サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」

奥さんからの『スピーチでは泣かないで』というお願いは守れませんでしたが、“自分の子どもとピッチに立つ”というかねてからの夢を現役最後の日に叶えたんです。

おわりに

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内田篤人先生のメンタル術、すべての人にとって学びになるヒントがありました。

『周りの人たちのために何ができるか考える』

生きていく上でとても大切な素敵な考え方ですよね。

ピッチの上から爽やかに去っていったウッチー、これからの益々の活躍を期待しています!

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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