【大河ドラマ『いだてん』】第40回『バック・トゥ・ザ・フューチャー』あらすじ&感想

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【大河ドラマ『いだてん』】第40回『バック・トゥ・ザ・フューチャー』あらすじ&感想

敗戦後の日本が再びオリンピック招致に挑む


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こんにちは!くまモン県民の
カズ()です。

 
>>>前回:『第39回のあらすじ&感想』へ
 
 
1945年8月15日、終戦を迎えた日本。
 
 
田畑は東京オリンピック招致という夢に向けて再び動き出します。
 
 
それでは『いだてん』第40回のあらすじ&感想の開幕です。

大河ドラマ『いだてん』第40回のあらすじ

第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
 
 
1945年9月、終戦直後の東京は焼け野原だった。
 
 
田畑(阿部サダヲ)はバー『ローズ』で東龍太郎(松重豊)、松澤一鶴(皆川猿時)と顔を合わせた。
 
 
「俺はこの東京でオリンピックをやる」
 
 
田畑の決意に松澤はあきれるが、東は賛同する。
 
 
11月、田畑は関係者15人をバラックに集めて体協の再建を決め、会長に東を指名する。
 
 
田畑は日本水泳連盟理事長に就任し、田畑と同じく浜松出身で自由形の有望選手である古橋廣之進(北島康介)を育てる。
 
 
古橋は日本選手権で世界新記録を叩き出す。
 
 
しかし、敗戦国の日本は国際水泳連盟から除外されており、公式記録として認められなかった。
 
 
1948年、ロンドンで12年ぶりのオリンピックが開催されるが、占領下にある日本は参加を認められなかった。
 
 
そこで田畑はGHQのマッカーサーを説得し、オリンピックの水泳競技と同じ日程で『裏オリンピック』とでもいうべき日本選手権を神宮競技場で開催。
 
 
この大会の1500m自由形で、古橋と橋爪四郎はオリンピックの優勝タイムを超える記録を出す。
 
 
1949年、日本水連は国際水泳連盟に復帰。
 
 
全米選手権に招待された日本選手団は6種目中5種目を制し、古橋は全勝利を世界新記録で飾った。
 
 
1951年、サンフランシスコ講和条約で日本の独立が承認され、、翌年のヘルシンキオリンピックで日本は戦後初めてオリンピックへの参加を認められる。
 
 
田畑と東は吉田茂首相に東京オリンピックの開催を直談判するが、吉田は後ろ向きだった。
 
 
そこで田畑は自ら衆議院議員選挙に立候補するが落選してしまう。
 
 
それでも田畑は1960年のオリンピックを東京に招致しようとするが、投票ではライバルのローマに圧倒的大差で負けてしまう。
 
 
しかし、すぐに1964年のオリンピック招致を目指すことを決める。
 
 
1956年、オーストラリアでメルボルンオリンピックが開催され、田畑は秘書の岩田幸彰(松坂桃李)と現地で地道なロビー活動を行う。
 
 
その結果、次のIOC委員会の開催とアジア競技大会を東京で開催することが決まった。
 
 
しかし、嘉納(役所広司)が作った神宮競技場は老朽化が激しく、1958年に新しく国立競技場として生まれ変わる。
 
 
東京のNHKホールで開かれたIOC総会で、ブランデージ会長は「東京にはオリンピックを開催する資格が十分にある」と太鼓判を押した。
 
 
1959年、体協会長の東は家族に反対されながらも東京都知事選に立候補し当選する。
 
 
ミュンヘンで開かれるIOC総会のために万全の準備を期していた田畑たち招致委員会。
 
 
しかし、IOC総会でオリンピック招致の最終スピーチをする予定だった外交官の北原秀雄(岩井秀人)が、外務省の運動会でアキレス腱を負傷。
 
 
北原は自分の後任に元外交官でNHK職員の平沢和重(星野源)を推薦する。
 
 
平沢は嘉納がカイロでのIOC総会から帰国する船の上で死去した際、最期を看取った人物だ。
 
 
しかし、平沢は1964年に東京でオリンピックを開催することは時期尚早だと反対していた。
 
 
田畑は知事室に平沢を招き、東らとともに懸命に説得する。
 
 
田畑は水泳の遠征でフィリピンに行った際に、「日本人は出ていけ!人殺し!」と現地の子どもたちから石を投げられたエピソードを打ち明ける。
 
 
「楽しませなくちゃいけないんだよ。アジア各地でひどいこと、むごいことしてきた俺たち日本人は、面白いことをやんなきゃいけないんだよ。一番面白いことを」
 
 
「これから一番面白いことをやるんだ、東京で」
 
 
そう語っていた嘉納の笑顔を思い浮かべ、平沢は最終スピーチを引き受けることを決意する。
 
 
そして、その平沢のスピーチが東京オリンピック開催を決定づけることになるのだった。

大河ドラマ『いだてん』第40回の感想

嘉納さんの想い、最後を看取った平沢さんにもしっかりと伝わってたんだ(泣)
 
 
あれだけ論理的に東京でのオリンピック開催にダメ出ししていた平沢さんだったのに。
 
 
人を動かすのって、やっぱり最期は強い想いなんだね。
 
 
戦争で何もかも失って焼け野原になった日本。
 
 
だからこそ平和の祭典であるオリンピックを開催することで、日本の復興を後押ししようと。
 
 
政治に利用されるオリンピックではない、純粋なスポーツの祭典を。
 
 
関連記事>>>【いだてん『バック・トゥ・ザ・フューチャー』】『平沢和重のスピーチ』『フジヤマのトビウオ』『ぺ(平和)』第40回への反響まとめ
 
 
そういう意味で、当時の吉田茂首相が東京オリンピック開催に消極的だったのは、むしろ良かったのかもしれないのかなと。
 
 
あーホント嘉納さんに見て欲しかったなぁ…1964年の東京オリンピックを。

くまモン県民カズの熊本弁講座

今回紹介する熊本弁は『おもさん』。
 
 
「おもいっきり」という意味です。
 
 

まーちゃん!オリンピック招致ばおもさん頑張んなっせ!

 
 
こんな感じで使います(*’ω’*)

おわりに

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1940年幻の東京オリンピックを経て、ついに1964年東京オリンピックの開催が決定しました♪
 
 
>>>次回:『第41回のあらすじ&感想』へ
 
 
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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